主治医から手術後の乳がんの5年生存率が80%といわれたとき、「未来」という言葉が目の前から消えました。「生存率」「5年」…この言葉が頭の中をぐるぐる回りました。
家に帰り、その思いを家族にぶつけました。今まで両親の前で泣いたことのなかった私が、泣きながら話をしました。すると、70歳を超えた父が「どちらが長生きするか競争しよう!」。厳しくも愛情のこもった言葉に感謝し、とにかくこの5年間を家族と共に生き抜こうと決意しました。
その日から、5という数字は私にとって、「挑戦」という文字に変わりました。メールアドレスも5年後の数字に変え、このアドレスを使っている5年後の自分をイメージしながら過ごしました。
私の父は絵画教室を開いています。私も、3歳から絵を描き始めました。絵画教室のモットーは「教えない」「困らす」「不便を与える」。乳がんと闘う自分の姿と、このモットーがぴったりだと気付き、ファイトがわいてきました。(宮崎市・AKOバンダナショップ 藤野ア子)